やめたり、またはじめたり
2004年3月26日そんな風に、ずっと日記を書いている。
書き始めたのは2年半前
私がうつ病になったころだと、記憶している。
そんな風に書いてみても
うつ病だったころの記憶はほとんどない。
全体的に灰色で、白で、黒だった。
その当時の私にとって日記は、確か、
自分をうつ状態から這い出させる為のものだった。
毎日、学校に行くのにものすごいエネルギーを使った。
寮に入っていたから、おいそれと登校拒否などできなくて
規則だから、決まった時間に起きて、
決まった時間に寮を出て、授業を受けて、、、
放課後帰ってくるころが一番つらかった
帰ったら必ず放心状態で
ただただ、ぼーっとして
いつの間にか泣いていて、気分はどん底になってた
そんなとき、日記を書いてた。
いろんなことを書いて、吐き出して、
そしたら少し浮上できた。
その当時の日記だけは、まだ残ってる。
自宅においてある。内容は結構血なまぐさかったりする。
手元においておくのは危険だ。家族以外の人に読まれるのは
危ない。実際、当時一番信頼していた
ルームメイトであり親友であったコに読まれたときは
その子やら、寮母さんやらに自殺志願者扱いされたし。
(↑わざわざ英語に訳して寮母さんにチクった。)
自分の命絶つほど人間終わってないっつうの。
いろいろあった選択肢の中で、自殺は多分一番最後だ。
死んだら何も残らないじゃないか
苦労はなくなるかもしれないけれど
それまでの全部、これからの全部、遣り残したこと、
大切な人たち、残された人の気持ち
そんなこと考えたら死ぬなんて絶対できない。
今はもう、なんともなくて
特別生きることや死ぬことについて考えるわけでもないし
どうやって今日を生きるか、は切実な問題じゃない。
自分の存在、居場所、自信、愛、夢、思い出
そんなことを一つ一つ再確認していくうちに
あの日記も必要なくなったし
「明日の朝起きませんように」と思い寝ることもなくなった
(決して死にたかったわけではない)
不眠も摂食障害もなおっていった。
そんな自動的に治ったわけではなかったけれど、
学校を辞めることを許してくれた親がいて
眠れないほど心配してくれた妹がいて
突然私が消えたことを寂しがってくれた友達もいて
少しでも気分が晴れるようにと気遣ってくれた友達もいて
私には直接関係のない集まりに誘ってくれる人もいて
そんな人たちが、本当に気長に気長に待っていてくれたから
立ち直れた。
一言で、言ってしまえば、私は人間関係に恵まれている。
このことだけではなく、すべてにおいて
困ったときに、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれた。
だけど、そんな言葉で終わらせてしまえるわけがなくて
私自身の観点では、「恵まれている」でよくても
その裏には、周りの人すべての苦労があるから。
いつか少しだけでも恩返しできたらな、と思う。
全部返すのは到底無理だけれど
その代わり、誰か困っている人がいるときには
今度は私が少しでも力になれるように
書き始めたのは2年半前
私がうつ病になったころだと、記憶している。
そんな風に書いてみても
うつ病だったころの記憶はほとんどない。
全体的に灰色で、白で、黒だった。
その当時の私にとって日記は、確か、
自分をうつ状態から這い出させる為のものだった。
毎日、学校に行くのにものすごいエネルギーを使った。
寮に入っていたから、おいそれと登校拒否などできなくて
規則だから、決まった時間に起きて、
決まった時間に寮を出て、授業を受けて、、、
放課後帰ってくるころが一番つらかった
帰ったら必ず放心状態で
ただただ、ぼーっとして
いつの間にか泣いていて、気分はどん底になってた
そんなとき、日記を書いてた。
いろんなことを書いて、吐き出して、
そしたら少し浮上できた。
その当時の日記だけは、まだ残ってる。
自宅においてある。内容は結構血なまぐさかったりする。
手元においておくのは危険だ。家族以外の人に読まれるのは
危ない。実際、当時一番信頼していた
ルームメイトであり親友であったコに読まれたときは
その子やら、寮母さんやらに自殺志願者扱いされたし。
(↑わざわざ英語に訳して寮母さんにチクった。)
自分の命絶つほど人間終わってないっつうの。
いろいろあった選択肢の中で、自殺は多分一番最後だ。
死んだら何も残らないじゃないか
苦労はなくなるかもしれないけれど
それまでの全部、これからの全部、遣り残したこと、
大切な人たち、残された人の気持ち
そんなこと考えたら死ぬなんて絶対できない。
今はもう、なんともなくて
特別生きることや死ぬことについて考えるわけでもないし
どうやって今日を生きるか、は切実な問題じゃない。
自分の存在、居場所、自信、愛、夢、思い出
そんなことを一つ一つ再確認していくうちに
あの日記も必要なくなったし
「明日の朝起きませんように」と思い寝ることもなくなった
(決して死にたかったわけではない)
不眠も摂食障害もなおっていった。
そんな自動的に治ったわけではなかったけれど、
学校を辞めることを許してくれた親がいて
眠れないほど心配してくれた妹がいて
突然私が消えたことを寂しがってくれた友達もいて
少しでも気分が晴れるようにと気遣ってくれた友達もいて
私には直接関係のない集まりに誘ってくれる人もいて
そんな人たちが、本当に気長に気長に待っていてくれたから
立ち直れた。
一言で、言ってしまえば、私は人間関係に恵まれている。
このことだけではなく、すべてにおいて
困ったときに、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれた。
だけど、そんな言葉で終わらせてしまえるわけがなくて
私自身の観点では、「恵まれている」でよくても
その裏には、周りの人すべての苦労があるから。
いつか少しだけでも恩返しできたらな、と思う。
全部返すのは到底無理だけれど
その代わり、誰か困っている人がいるときには
今度は私が少しでも力になれるように
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